私の坐禅は、薄い坐布団に半跏趺坐(はんかふざ:左の足を右の腿に深くのせ)で坐り、もう一枚の二つ折りした座布団を尻に当て、脊梁骨を真っ直ぐに立てて、気海丹田(下腹)に気を満たして、吐くとき下腹にぐいぐいと最初は強いが、次第に弱く、静かに細く長く、入る息は自然に入るにまかせるが、慣れてくると、呼気も吸気も自然と下腹に軽く力が入ったままできるようになる。始めは目を閉じるが、落ち着いてくると、自然に開いて1メートル前方におとす。

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昭和48年、9連覇を成し遂げた巨人の川上哲治元監督が、当時、岐阜の正眼寺(厳しい専門道場として知られている)に参禅していたことが新聞でもとり上げられて話題になっていた。その時の公安が大凡このようなものでした。攻撃中でランナーが二塁にいるとき、二塁打以上以外の方法で二塁走者をホームに返して試合に勝つよう即座に采配せよでした。これは試合がどの段階まで進んでいて、今どのような状況に成っているのかの条件等がないので、理屈では解きようがない。坐禅では理屈は禁物であることを示している。

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 こんにちは。YOB親睦テニスの会 長谷部(第9ブロック)です。 それぞれがホームコートを持ってテニスを楽しんでいるヤマハOBが年に2回、季節の良い時期に集まって親睦テニスを楽しもうという「YOB親睦テニスの会」の第2回目の予定を決めました。

昭和48年~58年位迄ヤマハに坐禅クラブがあったことは多くの方は知らないと思う。このクラブ発足に、地方で勤務に当たっていた方の奔走(三島の龍沢寺に相談)と偶然が重なって、今では到底考えられない恵まれた環境の中で活動をすることができ、又貴重な体験まですることができた。

浜松に慈光院(浅田町)というお寺があってそこに偉い坊さんがいるからといって紹介されたのがキッカケです。その方が昭和47年、奥山方広寺派管長に就任された藤森光禅老子でした。そこで師の指導を受けながら月1,2回のペースで坐禅会が行われていた。

続きを読む: 3、40年前ヤマハに坐禅クラブがあった当時の体験記(1) 第22B 内山 弘
 こんにちは。第9ブロックの長谷部です。再三の投稿で恐縮です。増井さんのビデオを見て、私もビデオ編集をしますので、興味深く観させて頂きました。パーシヴァル・ローエルという名前はほとんど記憶が無かったのですが、冥王星の発見者ということですから、何かで聞いたことがありそうです。子供の時に覚えた「すいきんちかもくどてんかいめい」に異変が起きたという記憶も残っていました。
 
続きを読む: 増井さんの投稿に関して感じたこと     第9ブロック 長谷部

第6ブロックの増井 武です。

私は昨年7月、アメリカはアリゾナ州のフラッグスタッフという町にある「ローエル天文台」を見学しました。

そこでこの天文台の創設者パーシヴァル・ローエルと日本との関わりを知りました。

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