会員からのお便り
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公開日:2014年8月18日
昭和48年~58年位迄ヤマハに坐禅クラブがあったことは多くの方は知らないと思う。このクラブ発足に、地方で勤務に当たっていた方の奔走(三島の龍沢寺に相談)と偶然が重なって、今では到底考えられない恵まれた環境の中で活動をすることができ、又貴重な体験まですることができた。
浜松に慈光院(浅田町)というお寺があってそこに偉い坊さんがいるからといって紹介されたのがキッカケです。その方が昭和47年、奥山方広寺派管長に就任された藤森光禅老子でした。そこで師の指導を受けながら月1,2回のペースで坐禅会が行われていた。
その後皆が上達していくと、方広僧堂で雲水達と一緒に坐禅を行うようになったり、又参禅入室による老子の接心を受けたり、無門関(禅の三書:他に臨済緑、碧眼緑)の提唱を聞いたり、その他数々のご縁をさせていただいた。
老子は龍沢寺の山本玄峰老子に師事し大事を了得して波羅窟の窟号並びに印可を受けて山を下りて自坊に住んで数年後のようでした。
参禅入室の接心及び公安について、禅宗で使われている用語を私なりに説明すると、方向僧堂では集中して坐禅と参禅に取り組む一週間の夏末大接心、釈尊成道に因んで行われる臘八大接心(12/1~12/8)等があって、在家にも雲水と同様に一人一人が公安をいただいて、それに対し坐禅中に工夫拈提(ねんてい)した見解(けんげ)を呈してどの程度仕上っているかを師家に検証してもらうという、昔からのやり方がある。
公安は今でいう試験問題で、例えば、雨だれの音を止めてこい、木魚の音をとめてこい、千里沖を走る帆かけ船を止めてこい等、師家と授かる人によっていろいろあるようです。
僧堂に参禅してしばらく経った頃、雲水とはどこか風格が違ってみえた一人の僧が禅堂を仕切っている姿があった。聞けば、13年間修行を積んで他の寺からきた僧で、方広寺では知客寮(しかりょう:禅堂の責任者)が空席であったので、その席に就いたとのことでした。その僧から聞いたと思われる話を他の雲水に話しかけているのを盗み聞きした内容が非常に興味深いものでした。
(続く)